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円周率の計算にかけた日本人
〜かつて日本には世界に誇る数学文化があった〜



越智鈴穂(TOSS中学/JHS坊ちゃん)

円周率の計算は、古代ギリシャの時代より多くの数学者を魅了してきた。江戸時代、関孝和とその弟子建部賢弘は、無限級数の考えを使い小数点以下41桁まで求めた。2006年8月現在、1兆2400億桁まで計算が進んでいる。日本が持っている記録である。向山洋一教え方教室(2006年2月4日)でB表で4級をいただいた授業。


1.和算は日本が世界に誇る数学文化である
 平成16年12月、経済協力開発機構の国際学習到達度調査(PISA)、国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)などで日本の子どもの学力が低下しているという結果が公表された。数学や理科では「勉強が楽しい」と答えた児童・生徒の割合は参加国の中でも下位であった。しかし中学2年生では、得点は11点下がったものの、順位は5位。世界の中では、日本の数学のレベルは高水準にあるともいえる。
 日本の数学が高水準である理由の一つに、江戸時代の和算と寺子屋の存在がある。
 江戸時代の日本独自に発達した数学を一般に和算と呼ぶ。和算には次のような特徴がある。
@江戸時代初期に作られた吉田光由の『塵劫記』は、江戸時代を通してのベストセラーであり、 武士から庶民まであらゆる階層の人々が数学に親しんだ。
A出版された数学書には解答が無いものがあり、解いた人が次に出版する書物に解答を記すと いう、いわゆる「遺題継承」というシステムがあり、人々が数学を趣味として楽しんでいた。
B数学の問題や答を額にして絵馬のようにお宮やお寺に奉納する「算額」の習慣があった。
C西洋からの情報が得られない中でも、世界のトップレベルであった。
 教室ツーウェイ2005年10月号で、向山洋一氏は「日本の子どもへの教育は、日本の国家が責任を持つべきものである。それは、当然ながら、自国の文化、自国に対する理解、自国への誇りをつちかうものであるべきだ」と述べられている。
 日本には「和算」という世界に誇る数学文化があったという授業を通して、自国の文化に誇りを持つこと、数学の楽しさや美しさを伝えたい。

2.円周率πに魅せられた数学者たち
 円周率πは、円周という意味のギリシア語「περιμετροζ(ペリメトロス)」の頭文字である。
 古代メソポタミアでは、円に内接する正六角形と外接する正六角形から円周率が「3と1/8」であることを導き出していた。古代ギリシアのアルキメデス(紀元前3世紀)は、正96角形の周りの長さから、「3と10/71」より大きく、「3と1/7」より小さいことを示した。
 πは無限に続き、数字が繰り返されて表れることもない。今までに求められている数字をもとに、次に出てくる数字を予測することができない。(πが無理数であることは、1882年、ドイツのリンデマンによって証明された。)次の数字を知るには、計算で求めるしか方法がない。古代ギリシアの時代から多くの数学者がπに魅了され、πの値を求めるための努力を続けてきた。
 オランダのルドルフは、17世紀、一生をかけて、正262 角形(2の62乗=461京1686兆184億2738万7904角形)より、小数点以下35桁まで計算した。ドイツでは、ルドルフの業績をたたえ、円周率のことを「ルドルフ数」と呼んでいる。
 日本では鎖国により西洋の円周率の計算成果は伝わらなかった。ルドルフに約100年遅れ、村松茂清が正215角形(2の15乗)から6桁を計算した。関孝和は13万1072角形から、11桁まで求めた。関の弟子である建部賢弘は、無限級数(無限個の項の和)を使った公式を導き41桁まで計算した。
          12    12・22    12・22・32
π=9( 1── +────+────── + …)
         3・4   3・4・5・6  3・4・5・6・7・8
 この公式は、西洋では建部の発見の15年後にオイラーの書簡の中で初めて見られる。
 1947年、卓上計算機を使って819桁を計算して以降、円周率もコンピューター時代に入った。現在、東京大学情報基盤センターで2002年11月に出した1兆2411億桁が世界最高である。

3.本時の指導

発問 1 円です。円の周りの長さを円周といいます。円の中心を通る線を何といいますか。

直径

発問2 円周/直径 を何と言いますか。

円周率

指示1 ノートに円周率を書きなさい。

発問3 どこまで続くのですか。

無限に続く。

説明1 円周率が無限に続くことは、19世紀に証明されています。

指示2 現在、円周率はどこまで計算できているのでしょうか。小数点以下、何けたという形でノートに書きなさい。予想でいいですよ。

【発問4】1兆2400億けたです。どこの国が持っている記録ですか。

日本

説明2 東京大学金田研究室で出した記録です。

説明3 コンピューターがなかった時代、円周率はどのように計算して求めていたのでしょうか。
   円があります。円にぴったりひっついている正六角形です。内接正六角形と言います。

発問5 円の半径を5cmとするとき、正六角形の周りの長さはいくらになりますか。

30cm

説明4 半径を1辺とする正三角形に目をつけると、正六角形の1辺の長さは5cm。 よって、周りの長さは30cmです。図形は、辺の数が増えるとだんだんと円に近づきます。このように、内接する正多角形と外接する正多角形の辺の周りの長さから、円周率を求めたのです。

説明5 この方法は紀元前3世紀のアルキメデスから延々と2000年以上も使われました。ついにこのような人も現れました。オランダのルドルフです。正262 角形(2の62乗)の周りの長さを計算し、小数点以下35桁まで計算しました。この計算に、一生をかけたと言われています。まさに、体力派ですね。

説明6 日本でも、江戸時代を代表する数学者・関孝和が、全く同じ方法で、13万1072角形から、11桁まで求めました。ルドルフと関孝和、比べてみてどう思いますか。(指名)関がすごかったのはここからです。関は円周率のけた数をたくさん求めることにあまり興味がありませんでした。それよりも、より簡潔に、より美しく求める方法はないだろうかと考えたのです。体力派から頭脳派への脱却を図ったのです。

説明7 関の考えた方法は次のような方法です。辺の数が増えると周りの長さは長くなります。
 関はそのときの差に目をつけました。無限に続く差をたすことはできないだろうかと。

説明8 関の研究を引き継ぎ、弟子の建部賢弘は、円周率を求める公式を作りました。そして、41けたまで計算したのです。西洋で同じ考え方をもとに公式を作り出すより15年も早かったと言われています。建部の業績は、現代の数学者からも高く評価されています。
 日本の数学は世界のトップレベルまで上がりました。

説明9 江戸時代の日本の国の人たちは数学が大好きでした。コンピューターなどなかった時代です。数学書がベストセラーになり、人々は数学の問題をて楽しみました。難しい問題が解けたときは、感謝して神社やお寺に算額を収めました。その数学好きの国民のなかから偉大な数学者が生まれたのです。今でも日本人の数学力が高いのはそれ引き継いでいるからなのです。

4.参考文献
『文化史上より見たる日本の数学』(三上義夫:岩波書店)
『Newton別冊 自然にひそむ数のミステリー』(Newton Press)
『「数」の日本史』(伊達宗行:日本経済新聞社)
『江戸のミリオンセラー「塵劫記」の魅力』(佐藤健一:研成社)
『和算を教え歩いた男』(佐藤健一:東洋書店)
『円周率を計算した男』(鳴海風:新人物往来社)
『天才の栄光と挫折』(藤原正彦:新潮選書)


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